呼び水

日記です

水たまりは最小の水辺

 

子どもの頃、今よりももっとずっと雨の日が好きだった。今朝、豪雨の中、どうしてそんなに好きだったのかなと思い出していたら、結構楽しい記憶が多くて、雨のことが少し好きになった。

あんまり水辺とは関係ないのですが、雨の日に好きだったことを書きます。

雨の日は家に人や生き物が集まった。いつも色々なところをふらふらしていた猫も、農業を営んでいた祖父も祖母も、雨の日は家や蔵や蚕小屋に居ることが多かった。祖父や祖母との記憶を思い出すと雨の日のことが多いのはそういうことだと思う。
秋の雨の日、夕方家に帰ってきて、濡れた靴下を脱いで足を拭いて祖父とこたつで時代劇や大相撲を見る。特に寒い日はどこかから買ってきた大判焼きをあたためてくれていた。祖父は末の孫のわたしをたいそうかわいがってくれて「水辺はホープだ、うちのホープだ」とよく言っていた。祖母は廊下に座布団を置いて新聞紙を敷いて、いんげんのすじとりや、栗の皮むき、乾燥した小豆の中からゴミと悪い豆をとって保存容器(コーラとか大五郎のペットボトルだったと思う)に詰め替える作業などをよくしていて、わたしはよくその手伝いをしていた。時々猫に邪魔をされる。雨の中から帰って来た猫はボサボサでドロドロなので、豆そっちのけで猫を洗ったり拭いたりした記憶がある。
雨の日に居間や廊下にいると、雨音ががよく聞こえて好きだった。サーと静かな雨にバチバチと叩きつけるような雨。障子を開けて縁側を眺めるのはとても楽しい。どこもかしこも静かなのに静かではなくてふしぎだった。

帰り道の坂道の右端に小さな流れができていてそこに葉っぱなどを流したこと。長靴でその流れを蹴って歩いたこと。色々と思い出す。長靴と傘があると、わたしたちは無敵だった。長靴じゃない日もスニーカーをじゃぶじゃぶさせながら歩いた。何度か、こっそり、裸足で人通りの少ないアスファルトの上を歩いた。あまりにもびしゃびしゃになってどうでもよくなったんだと思う。幼なじみと一緒だと雨の帰り道も楽しかった。家に帰って急いでスニーカーに丸めた新聞紙を詰める。そういえば小学生のころお気に入りの傘があった。雪の日に野球ごっこをしていて骨を折ってしまった時かなり落ち込んだ。
雨の日どこからともなく現れるカタツムリがふしぎだった。道の端の草をかたっぱしから裏返した。大物が見つかると歓声が上がった。家の周りの山に秘密基地をたくさん作っていた。大雨の日はその秘密基地が流されるんじゃないかとひやひやしていた。
雨どいやくさりといから勢いよく雨水が落ちるのが小さな滝のようで、兄とびしゃびしゃになりながらボロ鍋にその水を汲んでみたり、くさりといを振り回してみたりしたのを覚えている。歳の近い兄とは雨の日たくさん遊んだ。蚕小屋の脇の車庫の屋根はトタンで出来ていたので大雨の日はものすごい音がした。家にいていきなり雨が降って来た時慌てて母と一緒に庭の洗濯物を取り込みに走った。雨の日、母が台所で何かを煮ている隣で宿題の音読をするのが好きだった。台所はひんやりとしている。蔵などに雨漏りがあると大体潜り込んで遊んでいたわたしたち兄弟が見つけて、祖父や父が修繕していたと思う。

スイミングスクールに通っていたころ、マイクロバスの窓が曇っていると隣の幼なじみと○×ゲームをした。わたしは弱かったと思う。

中学生の頃、夏休みの部活ではギャラリーの窓を開け放っていた。雲行きが怪しくなってきていきなり雨が降ってきたときは、総出で二階の窓を閉めに走った。バスケ部もバレー部も卓球部もみんな一緒になってわあわあ言っていた。酷い雨の時は、渡り廊下をこっそり覗いて「やばい、川になる」「海じゃない?」「そしたら体育館は島だね」「体育館にまで水が来たらステージとギャラリーに逃げようね」と話していて、それが好きだった。雷や台風、大雨の時に学校にいるとそわそわした。あのふしぎな高揚感はなんだったのだろう。廊下の床は湿ってキュッキュッと鳴る。雨上がりにソフトテニス部が凍み豆腐みたいなスポンジとバケツで水を吸って練習するところを作っているのが面白かった。

雨上がりも好きだった。全部が洗い流されてすっきりとしたところに風が吹くのが特に。庭の柿の木の枝や幹が黒さを増していてかっこよかった。雨上がりは山も野も生き生きとしているような気がした。小学校の校庭に出来た水たまりと水たまりの間に傘の先で通り道を作ってつなげるのが好きだった。水たまりを国に見立てていた。夏の夕立ちのあとの地面が好きだった。水たまりに夕日が差すのが特別に美しかったと思う。水たまりは最小の水辺だ。
午前中に雨が降って午後に晴れたとき、町営プールの水がいつもより冷たかった気がする。プールに入っているけれど雨水に入っているようで楽しかった。

 

 

いつから、昔ほど雨にウキウキしなくなったのだろう。子どもの頃は怖いもの知らずだったし、濡れようと、前髪がうねろうと関係なかったから今よりももっとずっと雨が好きだった。今は服が濡れるのとか、湿気で髪の調子が悪いのとか、そんなことばかり気にしている。あと昔は雨の日は誰かといることが多かったのに今は雨の日でも一人でいることが多くて、それが少し寂しいのかもしれない。それでも霧雨や雨上がりに歩くのは好きだ。わたしは傘を差して歩くのがとても下手で隣を歩く友人の倍くらいびしゃびしゃになるけれど、小雨ならウキウキしているかもしれない。他人の色とりどりの傘を見るのも楽しい。

遠くの水辺に赴く時に雨が降っていると、晴れたキラキラの水辺が見たかったなと思う。でも実際に行ってみれば空との境目が曖昧になる白い霧の海や雨上がりの勢いのある滝なども結構楽しい。そもそも雨も水だ。雨の日の鉛色の海や湖は静かで少し怖くて、でもなんとなく気になる。天気予報を見ないでふらっと出かけるのでよく旅先でも台風や大雨に巻き込まれるのだけれど、雨のときと晴れたときをいっぺんに味わえるとお得だなとも思う。
こうしてよくよく思い出してみれば雨が嫌いな訳じゃなかったので、これからの梅雨を楽しく乗り切れたらいいと思う。お気に入りの長靴やカッパがあったら、もっとウキウキするかもしれない。

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[霧の湖]